久留島武彦年譜
西暦 | 年齢 | 内容 |
---|---|---|
1874(明治7) | 0歳 |
6月19日、大分県玖珠郡森町で、久留島通寛(十代森藩主通明の弟)と恵喜(豊前国中津藩の中金奥平家出身)の間に長男として誕生。 |
1881(明治14) | 7歳 | 森小学校に入学。 |
1883(明治16) | 9歳 |
12月、大火が発生し屋敷と森小学校が全焼したため、中津の母の実家(諸町1808番地)に移住し殿町小学校に転校。 |
1884(明治17) | 10歳 | 中津大神宮で定例説教を聞き、人の前で語る人の心構えとその進退のあり方を学ぶ。 |
1887(明治20) | 13歳 | 大分中学校に入学。 |
1888(明治21) | 14歳 | アメリカから来たウェンライト先生から英語の勉強と信仰生活で指導を受け、児童教育を目指すことになる。 |
1890(明治23) | 16歳 | ウェンライト先生について、神戸の関西学院普通学部に入学。 |
1891(明治24) | 17歳 | 3月25日、父・通寛死去、宗家の指示で攻玉社海軍予備学校に入学。 |
1892(明治25) | 18歳 | 再び関西学院に戻る。 |
1893(明治26) | 19歳 | 神戸美以教会日曜学校の校長に任命され、はじめて教育に直面する。 |
1894(明治27) | 20歳 | 日清戦争勃発、東京近衛師団歩兵第一連隊に入隊。 |
1895(明治28) | 21歳 | 遼東半島に上陸。「尾上新兵衛」という筆名で書いた軍事物語を博文館に投稿し、『少年世界』に連載。 |
1896(明治29) | 22歳 | 同期の木戸忠太郎の紹介で尾崎紅葉に出会い、紅葉から巖谷小波を紹介される。 |
1897(明治30) | 23歳 | 小波を囲む文学研究会「木曜会」を立ち上げ、童話作品を発表。ミネ夫人と結婚。除隊。 |
1898(明治31) | 24歳 | 神戸新聞社に入社のため神戸へ。 |
1899(明治32) | 25歳 | 軍事彙報社に転職し東京へ。 |
1900(明治33) | 26歳 | 横浜のセール商社に転職後、間もなく日本郵船会社の上海支店長秘書となって上海に単身赴任。 |
1901(明治34) | 27歳 | 日本へ帰り、大阪毎日新聞社に入社。10月20日、母・恵喜死去。 |
1903(明治36) | 29歳 | 横浜の海門商社を経て、横浜貿易新報社に入社、日本初の口演童話会とお伽芝居を開催。東京の中央新聞社に転職。 |
1904(明治37) | 30歳 | 日露戦争が勃発、韓国ソウルの司令部で勤務。 |
1905(明治38) | 31歳 | 日本に帰って中央新聞社に復帰。 |
1906(明治39) | 32歳 | 3月、お伽倶楽部を設立し、定例口演童話会を開催。9月、博文館に入社し、少年世界講話部の主任になる。(中央新聞社と兼務) |
1907(明治40) | 33歳 | 日本初児童劇団・東京お伽劇協会を設立し、定例公演を行う。6月、中央新聞社退社。 |
1908(明治41) | 34歳 | 2月2日、次女・不二子誕生。日本初の世界一周観光旅行に通訳として参加。 |
1910(明治43) | 36歳 | 玩具研究会の小児会と話し方研究会の回字会を設立、5月5日、早蕨幼稚園を開園し、桃太郎主義教育を掲げる。 |
1911(明治44) | 37歳 | お伽俱楽部の機関誌『お伽倶楽部』を創刊し、日本にボーイスカウトを紹介。アメリカへ視察旅行。 |
1913(大正2) | 39歳 | 初の創作童話集『久留島お伽講壇』(冨山房)を出版。 |
1914(大正3) | 40歳 | 満州口演旅行。 |
1915(大正4) | 41歳 | 台湾、朝鮮口演旅行。10月、東京代々木に早蕨第二幼稚園を開園。 |
1916(大正5) | 42歳 | 南洋視察団に参加、『通俗雄弁術』(廣文堂)出版。 |
1917(大正6) | 43歳 | 東京青山御所で東宮(昭和天皇)、高松宮、秩父宮に御前童話口演。童話集『お伽小槌』(冨山房)出版。 |
1920(大正9) | 46歳 | ヨーロッパ視察旅行。 |
1921(大正10) | 47歳 | 満州、朝鮮巡回口演旅行。 |
1922(大正11) | 48歳 | 日本童話協会と長崎お伽倶楽部の顧問になる。 |
1923(大正12) | 49歳 | 2月、巖谷小波、高島平三郎、野口雨情らと共に児童音楽研究会を設立。 |
1924(大正13) | 50歳 | デンマークで開かれた第2回世界ボーイスカウト大会に日本派遣団の副団長として参加。 |
1925(大正14) | 51歳 | 7月12日、ラジオ本放送を開始した東京放送局に出演し、「もらった寿命」を口演。10月17日、18日、帝国劇場で「アンデルセン没後五十年記念お伽祭」を開催。 |
1926(昭和元) | 52歳 | デンマーク国王クリスチャン十世からダンネブロウ四等勲章を授与される。 |
1929(昭和4) | 55歳 | 6月16日、帝国劇場で童話活動25周年記念祝賀会を開催。 |
1930(昭和5) | 56歳 | 8月15日、奈良の賣太神社で第1回の阿礼祭を開催。 |
1933(昭和8) | 59歳 | 9月5日、巖谷小波死去、小波追悼童話祭を開催。 |
1935(昭和10) | 61歳 | 早蕨幼稚園創立25周年祝賀会。アンデルセン童話百年祭を開催。 |
1936(昭和11) | 62歳 | 武彦童話活動30周年記念童話集『いぬはりこ』(教育社)出版。 |
1937(昭和12) | 63歳 | 小倉市(現・北九州市小倉区)到津遊園地に林間学園が開園され、初代園長になる。 |
1938(昭和13) | 64歳 | 到津遊園地内に桃太郎銅像を建立。 |
1941(昭和16) | 67歳 | 日本国民童話協会を結成し、会長になる。 |
1942(昭和17) | 68歳 | 皇太子殿下(今上天皇)に御前童話。 |
1943(昭和18) | 69歳 | 7月2日、ミネ夫人死去。 |
1944(昭和19) | 70歳 | 疎開令によって早蕨幼稚園閉鎖。 |
1945(昭和20) | 71歳 | 東京大空襲で早蕨幼稚園と自宅が全焼、奈良の称名寺に移り住む。寧楽女塾の顧問となる。 |
1949(昭和24) | 75歳 | 寧楽女塾と一緒に伝香寺に移り住む。称名寺を離れる際、感謝の気持ちを込めて珠光像を寄進。 |
1950(昭和25) | 76歳 | 玖珠町旧久留島氏庭園内に童話碑が建立され、5月5日、第1回の日本童話祭が開催される。50年記念童話集として『熊のしりもち』(推古書院)と『海に光る壺』(推古書院)が出版される。 |
1952(昭和27) | 78歳 | 全国童話人協会を結成し、初代会長になる。 |
1954(昭和29) | 80歳 | 京都嵐山の法輪寺に80歳記念の童話碑が建立される。 |
1955(昭和30) | 81歳 | 全国日本移動教室連盟(現・日本青少年文化センター)の初代会長になる。 |
1956(昭和31) | 82歳 | 大分、京都、北海道の巡回講演。 |
1957(昭和32) | 83歳 | 青森市巡回講演 |
1958(昭和33) | 84歳 | 話し言葉による童話を確立し、日本児童文化の向上に貢献したことが認められて、紫綬褒章を授章。 |
1959(昭和34) | 85歳 | 童話祭10周年及び童話活動60周年記念童話祭が玖珠町で開催される。愛知県巡回講演。 |
1960(昭和35) | 86歳 | 4月29日、横浜市老松小学校で催された女性教員大会で最後の講演。「狼に育てられた二人の少女」について話し、人は教育によって、はじめて人間になるということを力強く訴える。 6月27日午後9時36分、内臓ガンで死去。戒名、禅機院殿誠心話徳童訓大居士。玖珠町の安楽寺にお墓がある。 |
※『久留島武彦評伝ー日本のアンデルセンと呼ばれた男ー』(金成妍、求龍堂)より抜粋